松田神社(まつだじんじゃ)

所在地:熊本県八代市昭和日進町157

駐車場:駐車スペースがある。

銅像があったのですが、撮影してなかったです><

1番上の写真の右側に鍬を持った銅像があったかと思います。

 

松田神社は広く、私有地もあるそうで、どこからどこまでなら入ってもいいのか迷ったりもして、早々に帰りました。

 

 

由緒

 

 日本農業まことに偉大なる指導者 松田喜一先生は明治二十年十二月一日熊本県下益郡豊川村(現松橋町)松崎の地に出生された 

熊本農業学校に学び卒業後は鍬を握り自営業に従事されたが 県の懇望により県立農業試験場に奉職 試験研究に専念された 特に麦作法の改良に力を注がれ「松田式麦作法」を開発 県内の麦作の大改善を行われた

 その後期するところあり県職を辞され 大正七年肥後農林商会を組織 翌八年に肥後農友会を結成された 

そして大正九年四月菊池郡黒石原の地に農村子弟の訓育を目的とした我が国最初の施設農民道場「肥後農友会実習所」を開設 更に同年五月阿蘇郡色見村(現高森町)に分場を開き 総面積六十町歩の農場を経営しながら 農村青年の育成に情熱を預けられた

 その後深刻な不景気のため会社は解散 実習所は立退き命令を受ける最悪の事態となった

然し先生は不撓不屈の精神でこの大難関を切り抜けられた

 大正十四年より県知事の委嘱を受け八代海沿岸の昭和干拓事業に当たられた

昭和三年自らが名付けた昭和村(八代市昭和日進町)のこ地に黒石原より実習所を移転され 名を「日本農友会実習所」と改められた

 然るに昭和十七年と十九年の二度にわたる大湖害を受け 田畑は悪く元の海と化した

先生はこれに屈することなく 松橋と豊川の地に開いた二の分場を拠点として人作りと食糧増産に励まされ あらゆる困難を克服し 昭和二十四年六月天皇陛下の御巡幸 昭和二十六年高松宮殿下 翌二十七年 三笠宮殿下の御視察を頂き 日本農友会実習所(通称松田農場)の名声は天下に響き渡った

 先生は大自然の真理に基づく農魂と農抜を授けんと 実習所の若き生徒達と寝食を共にし 鍬を取って先頭に立ち 実践躬行の範を示された

春秋一回の先生の講習会には全国より数千人が集い 自らも県内はもとより全国を講演行脚されたその間月刊誌「農友」を五十年間にわたり刊行

また不朽の名言「農魂と農法農魂の巻」を始め数々の著書や言句を著された 十万有余の農友会会員のみならず日本農民の幸福増進のため 先生はその御身を捧げられたのである

 昭和十四年 先生は当神社を建立 以来朝夕欠かさず礼拝された 神社前では毎朝朝礼が行われ 先生の熱のこもった訓話が生徒達に授けられた

 昭和四十三年七月三十日 炎天下当神社前にて若い視察者達を相手に手を振り足を蹴っての熱弁の後 先生は倒れられた 八十才の素足のままの最期であった

 農聖松田喜一先生の御遠徳を偲び 御教えを後世に伝えんと 先生没後三十年を記念し 当神社を松田神社とする

 

平成九年四月九日 日本農友会

 

由緒の書かれた石版の写真を撮っておいたのですが、光の反射や角度で字が読めない部分もあったので、写真を見ながら書いてみたので、一部まちがいがあるかもしれません><

コメント: 2
  • #2

    管理人 (金曜日, 08 3月 2019 08:12)

    吉田公夫さんへ

    講習や鍬を砂で磨くなど、そういう歴史があったのですね。

  • #1

    吉田公夫 (木曜日, 07 3月 2019 20:19)

    五十五年ぐらい昔三泊四日の講習に参加させていただいた者です
    薩摩芋、大豆、茄子などの混ざった食事が大変懐かしいです
    労働と積善を旨とし質素倹約精神は大変強烈でした 特に鍬などは水を使わず砂で磨く等徹底していました
    是非伺いたいです。

 

感動度 ★★★

 

農業においてとっても貢献した松田喜一氏を祀った神社で、由緒などを見て感動しました。

松田喜一氏のような方々が、日本を支えてきたんだなと感慨に耽ってしまいます。